10月7日(火) 曇り
トンサンが高校2年生の時に書いた「デカルトにインタビュー」の文をGeminiに読んでもらい、イラストを付けてもらった。
相変わらず日本語ができていない。
吹き出しの部分はトンサンが修正した。
また肝心のデカルトにインタビューしているイラストが無かったので追加してもらった。
注文を付けながらできたのがこの文章。
小説風訪問記
「デカルトにインタビュー」
ついに私達にタイム・マシンに乗れるときが来た。
私達は新聞記者としてすぐれた腕を持っていると認められ、国際新聞協会からタイム・マシンに乗って過去の世界へ取材に行くことを依頼された。
私達はすぐ準備をし、パリにあるタイム・マシン・センターへ行った。
そして数時間経った。
私達は今、タイム・マシンに乗って時間の壁を越えている。
今世界にタイム・マシンはこれ一つしかなく、また二人しか乗ることができないのだ。
乗っているのは私のほかに大の親友であるカメラマンのA君だ。
A君はデカルトと町の様子を明確に写すため、ご自慢のカメラを持ってきた。
取材人物が自由課題なので私とA君は現代に必要な人「デカルト」を訪ねることにしたのだった。
新聞記者としてタイム・マシンに乗るのは私たちが初めてだ。だから私達はもう一生懸命である。
A君は世界で一番最初に昔の生活様式の動画を撮るんだと八ミリカメラを持って意気盛んだ。
過去の世界に胸はずませていたら、瞬間に自己を失いすぐ気を取り戻した。
おお!! これぞわが夢見ていた過去の世界である。
A君はさすがにカメラ狂だ。もうあたりの家を写している。
私達はあやしまれないように衣装を近くの家でもらってすぐ着替えた。
私達は当時のこの土地の服装でツール近くにあるデカルトの家を訪問した。
行ってみるとデカルトはオランダへ転住して行ったということである。
私達もデカルトが住んでいるというアムステルダムの町へ行った。
デカルトの家へ向かって群衆の中を急いだ。デカルトはよく群衆にまぎれて散歩したそうだ。
A君は歩きながら写真を写している。A君が言った。
「おい見ろ! 向こうから来るのはデカルトじゃないか!」
「そうだ、たしかにデカルトだ」と私が叫んだ。
丸い顔、肩までたれている黒っぽい髪の毛、口のまわりの無精ひげ、目がギョロっとしてくぼんでいるところなどはデカルトそっくりだ。
デカルトに間違いないだろう。私は早る胸を落ちつけてデカルトらしい人に声をかけてみた。
「あの失礼ですが、あなたはデカルトさんですか」
「うん私はデカルトだが」
やはりデカルトだった。私の言葉は通じたのだ。
ほっとしている間もなくデカルトは言った。
「あなた方は誰じゃな」
農民の服を着ている私達をデカルトは相手にしたくないような態度をとった。
それというのもデカルトは、他人から逃れたくてオランダへ来たのだから、当然のような気もする。
そこで仕方なく身のあかしをした。
だがデカルトは八ミリカメラを見せても、腕時計を見せても信じなかった。
しかし疑い深いデカルトも、当時まだ無かった数学の公式を出して解いたら、やっと信じてくれた。
「早速ですがデカルトさん、あなたが書いた『方法序説』の中で『われ思う、ゆえに我有り』という言葉は非常に有名ですが、どのようにしてその考えに達したのですか」
「私はまず第一に、世界がいかにあるか客観的に見ようと思った。つまり善し悪しの評価を離れて物を見るということです。それから私は、世界を客観的に見据える自己をはっきりとらえました」
「ははあなるほど。あなたの言葉に『ただ一人闇の中を歩む者』というのかありますが、これはどういうことですか」
デカルトは答えた。「えー、それはですね、暗闇の中を行く者は不安や恐れや妄想に取り付かれる。光を点じて行く手を照らすことによって前進が可能となる。自己は光によって自由になる。こういう闇を行く旅人の状況を人間一般の状況と見、世界に光を投じてその中で自己の道を選ぶ、ということがそもそも科学の用なのであって、ものを客観的に知ることは自己が妄想を離れて自由を得ることなのです」
「そうですか、そういう考えは私たちの世界でももっと多く使われるべきだと思いますね」
A君はデカルトの家のまわりや部屋を写すのに一生懸命である。
私が続けて質問した。
「デカルトさんは1633年頃『世界論』という論文をお書きになったでしょう」
「ええ書くことは書いたんだがね、何しろガリレイ君が『天文学対話』という本を書いてローマ法王庁に終身禁錮の刑に処せられた事件があったのでね出版しなかったんだよ」
「『天文学対話』というのは古い天動説とコペルニクスの地動説とを対決させて、コペルニクスの方が正しいとした書物でしょう」とA君がデカルトに言った。
「そうだよ。あなた方の時代にはもうそんなことはないだろう」
「そうです法王庁も19世紀にはガリレオを正しいと認めている」
と私が言った。そしてまた質問をした。
「デカルトさんは1637年に三つの論文を発表されたでしょう。『屈折光学』『気象学』『幾何学』とそして『方法序説』はこれら三つの論文の序文として最後に書いたものですね。それはいいのですが『序説及び三試論』というのをフランス語で書かれたことなんですが当時、あ、つまりここでは”今”ですね。今のフランスでは学問の書物はラテン語で書くのが普通なのにデカルトさんはなぜ哲学の本をフランス語で書かれたのですか」デカルトは答えた。
「フランス語で書くのは生まれつきの理性のみを用いる人々の方が昔の書物しか信じない人々よりも、私の意見を一層正しく判断してくれるだろうと思ったからです」
「ああ、なるほど、そういうわけですか」
突然A君が言った。
「あれ、もう帰る時間だ」
もっとたくさん色々なことを聞きたかったのだが、何しろタイム・マシンはエネルギーの関係で3秒しか働かない。現代の秒は過去に来れば来るほど長くなる。今この時代では約1日と6時間になる。もう1日と5時間55分経った。あと5分である。
私達はデカルトには気の毒だが、今日私たちと会ったことをすべて忘れてもらうために特殊なガスを噴出するガス銃を使った。
これでもうデカルトには夢を見たとしか思えない。
過去から現在へ戻るにはタイム・マシンが自動的に働き、どんな場所にいても時間が来ればひとりでに私達の体は分解され、ある超スピードの物質に乗って瞬間的に現在へ着くのである。
そして当時のフランス農民の衣装を着たまま帰ったので、皆から笑って歓迎された。
翌日私達は、各国のカメラマンのフラッシュぜめ、質問ぜめにあった。
いつも質問をする方なので、変な気持ちになったり、またうれしくもあつた。何しろ科学者に続いて世界で第5番目にタイム・マシンに乗ったのでこのうれしさはひとしおである。
ちょうど数百年前に初めて人工衛星に乗ったガガーリンと同じ様な気持ちかもしれない。
今頃デカルトが、変な夢を見たと寝ぼけている様子を想像すると、愉快に思われてならない。
なお、タイム・マシンはエネルギー補給の為あと5年は働かない。その頃はタイム・マシンも増えて、故人への訪問も盛んになるだろう。
━ 完 ━